「東京山側」の未来をつくる。 地域の魅力を最大化し、伝えていくチーム「do-mo」とは
東京都心・新宿から電車で約70分。窓に映る風景が都会の建物から広々とした空と田畑、そびえ立つ山々へと変わっていく。
JR五日市線の終点・武蔵五日市駅には、都会の喧騒とは異なるおだやかな空気が流れています。
秋川渓谷があり、多摩川の支流の中でも最大の秋川が流れるこの町は、東京都あきる野市。秩父多摩甲斐国立公園のエントランスとして、いくつもの登山口やハイキングコースがあります。
東京でありながらも開発されすぎず、雄大な自然をそのまま残すこのエリア。「東京山側」と呼ばれ始めているこの場所の魅力を、事業を通じて可視化し、伝え、守ろうと活動するチームがあります。株式会社do-mo(どうも)です。
代表取締役の高水健(たかみず・けん)さん(32)が率いるdo-moは、2016年にこの地で始まりました。「東京の森にdo-moをお返しする」を哲学に据え、地域ブランディングを行なっています。
具体的には、地域資源を活かした4つの事業を展開。
まずは無添加と薬膳、地産食材にこだわる地域に根ざしたレストラン「do-mo kitihen CAN-VAS」(キャンバス)。そして地元食材の開発・加工工場を兼ねたカフェ「do-mo factory blan.co」(ブランコ)。どちらも駅前にあり、地域の人はもちろん、ハイキングや登山、川遊びに訪れた観光客でにぎわっています。
駅周辺の住宅地を抜け、緑に囲まれた渓谷を進むと現れる渓流沿いのキャンプ場「do-mo forest 自然人村(しぜんじんむら)」と、そこからさらに奥地へ徒歩15分の距離にある「南沢あじさい山」の管理運営もdo-moが担っています。
森があり、食があり、遊びがある。それぞれが巡り、影響を与え合いながら、このエリアをより魅力的に仕立てています。
東京の森に「do-mo」をお返しする
do-moという名の由来は「どうもありがとう」。
「ありがとう」という言葉が好きだったという高水さんですが、「ありがとう」ではなく「どうも」を社名に使ったのには理由があります。
「“ありがとう”はdo-moの事業やサービスの根幹。その手前にある“どうも”には、“ありがとう”と言っていただくための準備、つまり生み出すための苦しみや努力、思いが詰まっています。自分たちはその過程を一番大事にしたいという思いでつけました。
例えば料理だったら、シェフがこだわりすぎて原価が見合わないということがよく起こるんです。経営として課題はありますが、まずは損得ではなく、こんなことをしたらお客さんに喜んでもらえるのではないか、笑顔になってもらえるのではないか。その気持ちをなによりも大事にしていきたいと考えています」(高水氏)
do-moが目指すのは、事業を成功させることだけではありません。事業を通じて、地域の魅力を伝え、盛り上げていくこと。
綺麗事だけでは決してうまくいきません。地域の声に耳を傾け、寄り添い、時間も労力も捧げる覚悟が必要です。
それでも地域とともに歩むのは、先人たちが作り上げてきたものを受け継がせてもらったからこそ。そのご恩をこの地域に還元したいという一心で、事業に向き合っています。
夢を探す過程で見つけた「地域のために」というやりがい
少年時代からプロ野球選手を志していた高水さん。大学時代にその道を閉ざされ、とにかく厳しい環境に自分の身を置こうと思い、ベンチャー企業に入社します。がむしゃらに働き、2年でトップセールスに。しかし結果が出ても、満たされず。なにか次の夢ややりがいを見つけなければと思い、会社を退職。自分の意思と責任でなにかを生み出したいと思い、do-moを始めました。
「特にプランもないままに独立し、今見ると震えるぐらいの簡易な計画でスタートしました。アウトドアイベントを仕掛けるイベント事業から始めたのですが、3ヶ月くらいで借りた資金が尽きてしまい。当時は明日食べていくためにとにかく必死でした」(高水氏)
当時を振り返り、高水さんは語ります。
「根拠がない中、理想を掲げて努力をする。失敗しようがしまいが全部自分のせい。大変でしたが、やりがいがあって満たされていました。すべてが自分の人生そのものになっていくんです。だからこそ上辺だけで中途半端に誰かのためになんて言いたくないと思っていました」(高水氏)
自分が生きるために何とかしなきゃという状況から、少しずつ光が見えてきたとき、事業を通じてどこに向かいたいのかを考えるようになり、軌道修正。失敗をして、直してを繰り返して今に至るといいます。
未来に残したい一心で、受け継いでいく
あじさい山の管理運営を担う南沢あじさい山事業部 責任者の南嶋祐樹(みなみしま・ゆうき)さん(32)。
南嶋さんは高水さんと同時期に会社を辞め、do-moの創業に参画しました。高水さんとは大学の野球部の同期。創業期は喧嘩もしながら、泥臭い中をともにもがいてきました。
南沢あじさい山は、いまやあきる野市の有名な観光名所。一万株のあじさいが山に咲き誇る姿を一目見ようと、シーズンにはおよそ一万人の方が来山します。
あじさい山を作ったのは、花咲か爺さんこと、南澤忠一(みなみさわ・ちゅういち)さん(92)。
山の中腹にあるお墓へお参りに行く際に、花の中を歩いていけたらと思い、庭にある2株のあじさいから林道に挿し木を始めました。綺麗だねと言われるのがうれしくて、さらにその先のハイキングコースに続く林道や山の斜面にも植え続けて半世紀。多くの人があじさいが一面に広がる山を見に訪れ、たくさんの笑顔を生む場所になったのです。
南澤さんが米寿を前にあじさいの手入れを続けられるか不安に感じ始めたころ、高水さん、南嶋さんと出会います。ふたりはあじさい茶を作るために、栽培しているヤマアジサイの仲間であるの葉をもらえないかと南澤さんに持ちかけたのです。
「最初にお会いした時に、葉っぱは全然あげるけど、あじさい山はなくなっちまうぞ、と言われまして。後継者がいなかったんですよね。あきる野市の観光地として、あじさい山は僕の中では一番だと思っていたんですが、その観光資源がなくなるのは残念だなと思いました。
当時、正直花には興味がなかったんです。でも南澤さんが半世紀かけて作ってきたこの場所の歴史、さらにこの山を花だらけにしたいという夢を聞いていたら、感銘を受けたというか、残さなきゃと思ったんです。なんとか残したいので手伝わせてください、というところからスタートしました」(南嶋氏)
弟子のように厳しく指導をしてもらい約7年。今はあじさいの手入れを含む山の管理はすべて南嶋さんが担っています。木の伐採など林業に近いことも行います。
自然相手の仕事は天候などコントロールできないことがたくさんあります。一万株のあじさいが綺麗に咲く姿を来場する方に見せられるか。毎年開花するまではドキドキするといいます。
実は山にはあじさい以外の花もたくさん植わっています。主に4月に咲くハナモモや、3月に開花するミツマタ。ロウバイ、サツキ、シャクナゲなど。春は桃源郷のようだといいます。今では花がかわいくて仕方がないという南嶋さんは、ハイキングルートの入り口でもあるこの山で多くの人を楽しませています。
この土地ならではの素材の魅力を引き出し、訪れる人を魅了する
あじさい茶の生産も行う飲食部門を担うのは、Eat事業部 責任者の上村幸太郎(かみむら・こうたろう)さん(32)。食で地域の魅力を最大化していけるよう、レストランとカフェの運営、そして商品開発に取り組んでいます。
美味しい料理はどこにでもある。だからこそ、この地域ならではの食材を使い、違った角度から魅力を表現していきたいとオリジナルの商品作りに力を入れています。
例えば、鮎チョビ。鮎をペーストにした調味料です。do-moのオリジナル商品として自社店舗での販売はもちろん、卸販売も行なっています。
「なぜ鮎チョビを作ったかというと、秋川で採れる江戸前鮎は、川が綺麗なのですごく美味しいんです。毎年開催される鮎の品評会にも、準グランプリに3回選ばれていまして。塩焼きでも美味しいですが、もっと違うやり方で美味しさを届けたいと思い、試行錯誤を重ねました」
鮎らしい肝の苦味を表現し、低温調理で旨味を引き出す。これ以上の商品はもう作れないんじゃないかと思うほどの仕上がりになったといいます。
もう一つは、あじさい茶。南澤さんの生きた証を残したい。その思いで試作に励み、3年の開発期間を経て完成しました。アマチャ(甘茶)の風味とゆずの酸味が合わさり、やわらかな甘みのあるほっとするお茶。あじさい山で採れた素材のみで作った、唯一無二の商品です。
上村さんは立ち上げ時からオリジナルの商品を作ることにとことん執着し、苦労もいとわず進んできました。
原点は、町おこしの第一人者として五日市を盛り上げた高水さんの父の存在。町のために利益は度外視で数々のオリジナルイベントを開催したといいます。そのイベントは国から表彰されたり、今でも地域で伝説的に語られているものもあるそうです。
「他ではやっていないオリジナルのイベントを次々仕掛け、町が盛り上がり、みんなが笑顔になったという話を聞いて、オリジナルって人を感動させる可能性があるし、地域も盛り上がるんじゃないかって思ったんです。なのでいつも料理を考えながら、これはオリジナルかと自分に問うています」(上村氏)
そのほかにも、お店には、鮎ふりかけや鮎味噌を使ったおにぎりや炭を練りこんだパンを使ったパニーニ、鮎を使ったパスタやオムライスなど、ここでしか食べられないものが提供されています。
実は上村さんと高水さんは中学時代の野球部の同志。シェフとして活躍していた上村さんは、高水さんに誘われたのを機にdo-moに参画しました。料理への向き合い方も生き方も、以前とはまったく異なるといいます。
「以前はもちろん料理は好きだったけど、料理で表現したいとか、なにかをしたいという意思はまったくなくて。でも今は、この地域を盛り上げるにはどうしたらいいのか、この食材を自分なりにどう表現したいのか、必死に考えています。その中で自分の個性も磨かれ、この先やっていきたいことも見えてきていますね。自分の料理を食べて笑顔になる人にも出会え、最近では料理を通じて人と人をつなげていくことにも魅力を感じています」(上村氏)
東京の森と川のすぐそばで、本来の自分に還り、癒される拠点を
do-mo forest 自然人村は50年以上続く歴史あるキャンプ場です。もともとは深沢自治会で運営されていたキャンプ場。そこで高水さんの父がキャンプ場を始めました。2020年にdo-moがすべて事業継承。単なる世代交代として無償で譲ってもらうのではなく、M&Aの形で事業を受け継ぎました。
「父から、ただで譲ってもらうような奴には事業をよりよくすることはできない、と言われました。父も経営者としてやってきた。その経験があったからこそのアドバイスです。代替わりで掛け算になるような事業継承をしたいと自分たちでも思っていたので、本気で没頭せざるを得ない状況を作れたことをありがたいと思っています」(高水氏)
キャンプ場の運営は、自然人村事業部 責任者の鴨井浩人(かもい・ひろと)さん(37)が担っています。
実は鴨井さんは高水さんの前職の上司。高水さんが事業を始めた頃から5年間、休日にはdo-moのイベントなどを手伝い、応援してきました。出会う人にいい影響を与えられるようになりたいと思った時、人間力を高めるために一からチャレンジできる環境に身を置きたいと思い、do-moへの参画を決めたといいます。
do-mo forest 自然人村は、変わらない価値は守りながらも、新たな観点を加えて更新中。心身ともに癒され、本来の自分に戻れるような施設にしていくために変化の渦中にあります。
バーベキュースペース、テントサイトに加えて一つひとつ形の違うオリジナルのタイニーハウスを増設。暖房や電源、ベッドなどの家具を完備。多摩産材のスギやヒノキを使った建物には大きな窓や風を感じられるデッキがあり、自然と溶け合うような時間を過ごすことができます。
とっておきは漆黒の縦型バレルサウナ。五日市は炭のまちとして発展してきた歴史があります。そのストーリーを受け継ぎ、炭焼きをモチーフにしました。
「自然を体感するためには、やっぱりサウナに入ってもらうというのが一番いいと思います。常設のプライベートサウナがあって、サウナの後は側を流れる渓流にも入れますし、深さ2メートルほどの天然の滝壺でクールダウンもできます。あじさい茶を使ったロウリュウもでき、外気浴は川辺で。心地いい風を感じ、耳を澄ませば鳥の鳴き声、川の流れる音。いろいろなものが作用して身も心も整います」(鴨井氏)
森の魅力を最大限体感してもらえるように、設備を準備するのはもちろんですが、自然に負荷をかけないかたちでアウトドアを楽しんでもらう仕組みも作っていこうとしています。
「例えば、焚き火で出た灰は自然には還らないんです。そのままの状態でずっと残っていくので処理をしなければなりません。焚き火台の使用をお願いしていますが、台の下に焚き火シートを敷くだけでも全然違うんです。あとは、ゴミを出さないキャンプのやり方。自然への負荷を最小限に留めて、来た時と変わらない場所にしていく。そういうキャンプのやり方をレクチャーしていきたいと思っています」(鴨井氏)
目指すのはただのキャンプ場ではありません。ここでは、自然も人もありのままの姿に戻っていける。そんな体験ができる拠点でありたいと、試行錯誤を続けていきます。
世界的に見ても稀有な場所「東京山側」の未来を作る
東京の西側には、その名前から連想される都市のイメージとはかけ離れた、世界的に見ても稀有な自然エリアが広がっています。
「東京規模の大都市から一時間圏内にこれだけの自然環境が維持されていること。その多様性は、北海道から沖縄まで日本全土に生育している植物種のおよそ3割ともいわれています。そして国立公園のゲートウェイであること。この”東京山側”は、世界的に見てもものすごい価値のあるエリアだということが、調べていくうちにわかってきました」(高水氏)
このエリアの可能性を広げ、素晴らしさを発信していくために、これからは一社だけで盛り上げるのではなく、地域の事業者と連携し面の動きをしていきたいと高水さんは語ります。
イメージするのは「湘南」。特定の地点を指すわけではなく、エリアのカルチャーを含めた総称です。「東京山側」も、その場所のイメージやライフスタイルをまるっと呼称されるようなところを目指せる。みんなで夢を語り、肩を組み、実現に向けて動き出しています。
「昨日も今年で93歳になるあじさい山の忠一さんに呼ばれて。この先頼むぞという話をもらったんです。立つこともやっとなのに僕らの前では夢を語り出す忠一さんを目の当たりにしながら、こういう人に託してもらえることは本当にありがたいなって。
ここの場所はどれも私が始めたわけじゃありません。自然人村は、父の時代から事業として30年の経営基盤があります。類いまれな自然環境のフィールドもあります。50年を超えるすばらしい歴史を持ったあじさい山もあり、キーステーションの駅前で飲食店を営んでいる。すべてご縁で託していただいたもの。それは本当にありがたいと思っていて、無下にしてはいけないと思っているんです。だからこそ利益だけを追求した中途半端な事業展開は絶対に違うんです」(高水氏)
だからこそ、地域のために。
ご縁がつないでくれたからこそ、その優先順位をぶらさないこと。メンバー全員の言葉の端々にもその信念が表れていました。かつては自分のために、自分たちのために夢中で始めたこと。それがご縁をたどり、輪を広げ、いまは森や川、地域の人々の生活や笑顔を守ることにつながり始めています。
仕事も、遊びも、リラックスも。いつもの今日も、自然溢れる「東京山側」で過ごそう。近い将来、そんなライフスタイルが都内在住者や関東近郊に住む人のあいだに広がっているかもしれません。その裏側にはきっと、この地域の可能性を信じ、よりよい場所にするために変化をし続けたdo-moの存在があります。
<コーポレートサイト>
株式会社do-mo:https://do-mo-crew.com/
<事業サイト>
自然人村:https://shizenjin-mura.com/https://shizenjin-mura.com/
南沢あじさい山:https://ajisai-yama.com/
do-mo kitihen CAN-VAS:https://kitchen-canvas.net/
do-mo factory blan.co:https://factory-blanco.tokyo/
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